「志賀」はふつうシガと読みますが、厳原の地名では「シカ」です。志賀の鼻にあった窯で焼かれた作品を志賀焼(シカやき)といいます。資料によると1700年代の前半の開窯で、1920年ころ閉窯したようです。その間何度か開窯、閉窯をくり返しているようですが、作っていたものは茶道具が多かったようで優れた作品が残されています。しかし、対馬ではほとんど流通していなかったようで作品のほとんどは島外で販売されていたようです。したがって対馬に作品はほとんど残っていないと言っても過言ではありません。
対州志賀焼 菓子鉢
ロクロをひいた後大胆に三方向から内側に向かってへこましています。へこんだ部分には象嵌がほどこされています。
上面から
内側にへこまされていることがよくわかります。
箱書き
箱は桐箱です。桐の箱を使ったのは明治以降と聞いていますので、この志賀焼の菓子鉢は明治30年代に作られたものではないかと推定しています。その頃志賀窯で作陶していた人は資料によると桟原愛助で、小浦の白土を使って作陶したものではないかと思います。
明日から2日間、会議に出なければなりません。